メタレビュー

 

哲学カフェのレビューというものは、大きく分けて二つのことをするように思われます。第一に、「そのカフェでどのようなことが話し合われたか」という問いに答える対話内容の報告です。第二に、「どのような議論の展開となったか」、「そのような展開は、哲学対話として評価すべきものか」などの問いに答える対話の展開過程の報告とその評価です。実際にはこんなふうにきれいに分けられないものですが、概念的にはこうした二つの側面が哲学対話のレビューにはあると思います。

 

ところで、「哲学」についての由緒ある考え方のひとつとして、「思考の哲学性はその内容ではなく展開過程にある」とするような考え方があります。これは「哲学とは何か」、「哲学とはそもそも教えうるものか」などとも関わるメタ哲学の問題であり、哲学者の間でも議論の分かれるものですが、少なくとも哲学カフェという運動は、根底でこの考え方に基づいた意味での「哲学対話」の輪を広げようとする運動であると思われます。しかし、通常、カフェでの対話のレポートやレビューはどうしても内容の報告を含まないわけにはいかず、その結果、展開過程に焦点を当てにくくなりがちです。そこで哲学カフェ@名古屋では、今後、初めから「哲学対話としての質に主眼をおく。そのためには対話内容の報告は二の次で構わない」というスタンスのレビューを(ときどき)書いていきたいと思います。

 

これを「メタ・レビュー」と呼ばせていただきます。

 

注:「メタ・レビューは対話の展開過程のことしか書かない」とはしません。「思考の哲学性はその展開過程にある」という考え方は決して百人が百人賛成するものではないからです。もっと開放的に、「今後の哲学カフェの哲学対話としての質の向上を目指す」、あるいは、「どのような質向上を哲学カフェは目指すべきか、と考える材料を供する」ためのメタ・レビュー、とさせていただきます。

 

尚、蛇足ながら、「対話の哲学性はその展開過程にこそある」とするならば、目安としてはメタ・レビューは次のような問いに答えるようなものでしょう。

① どのような対話の展開があったか。

② そのような展開は、哲学対話としての対話の質を高めるものか、落とすものか。

③ なぜレビュワーはそれらの展開をもって「質の高い/低い哲学対話の展開」と評するのか。(レビュワーが思う「質の高い/低い哲学対話の展開」とはどのようなものか。)

④ なぜそのような質の高い/低い展開が生まれたのか。(進行役の言動や場の演出などにその原因はあったか。)

 

こうした問いに答えるようなメタレビューを続け、そして公開してゆくことで、哲学カフェ運動の質的向上に少しでも資することが出来れば幸いです。

 

メタレビュー 「人は何に芸術性を感じるのか?」
2014年3月22日 於カフェ・ティグレ
MetaReview(2014-3-22).pdf
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