2013/6/22: 経済の文明史(書評カフェ)

「経済を問い直す」シリーズの第三回です。カール・ポランニー著「経済の文明史」の書評カフェをやりました。

 

議論の中で思ったこと、言い逃したこと、言い足りなかったこと、何でも結構です。気兼ねなくお書き込み下さい。

コメント: 2
  • #2

    安田 (水曜日, 20 11月 2013 14:35)

    ホームページ管理担当の安田です。

    管理の際、誤って以下の投稿を削除してしまいました。投稿されたのは、書評カフェ「経済の文明史」の直後くらいのはずです。

    私自身の投稿だったため、もとのデータが手元にありました。妙な感じになりますが、ここに再投稿しておきます。

    ---------
    参加された方はご存知ですが、実はこの日の書評カフェのあと、有志で一種の「二次会」に流れ込みました。そしてそこでもすごく刺激的な会話がありました。忘れてしまうともったいないので、少しだけ報告し、思ったことを投稿します。前後の話を全部省略して、印象に残った一言だけの報告をします。Iさんが言った一言です。(念のためにイニシャルにしておきます。)

    「消費というのは今や投票のようなものになっている」といわれたのです。

    とても印象的な一言でした。

    これは、「買う」と「売る」の優位性が入れ変わってしまった、ということなのではないでしょうか。つまり、「買う(消費する)ために売る(労働・生産・販売する)」という市場のあり方から、「売る(販売・生産・労働する)ために買う(消費する)」という市場のあり方に、変わってしまったということ。よく、生産が供給サイドで消費が需要サイドといいますが、今の経済においては、本当の意味で供給サイドになっているのは消費のほうで、需要サイドは生産(労働・流通・販売そのたもろもろ含む)の方になっている、ということ。もともとの意味での需要と供給は、生きるために、ないし生活を楽しんだり豊かにするために必要な物資やサービスの需要と供給の意味だったのに対し、現代経済においては、本来人間の暮らしのための手段であったはずの経済活動そのものが目的化し、これの需要(労働需要、というより、生産需要というべきか。。もっと経済活動したい、という需要)とその供給で考えるほうが(すくなくともマクロ経済の分析においては)有効になってきている。


    この背後にあるのは、「生きるために、人生を楽しむために、買わねばならないし、買いたい。買うためにはお金がいる。そのためには労働(生産)して、お金を得なくてはいけない。つまり売らなくてはいけない。」という『生活のための経済(お金)』から、「お金をもっと増やしたい。そのためにはもっと労働(生産)し、もっと売らなくてはいけない。つまりもっと買ってもらわなくてはいけない。」という『経済(お金)のための生活』へ、という、人間活動における生活と経済(お金)の優位性の入れ替わりではないでしょうか。


    そしてこれが、カール・ポランニーのいう「社会に埋め込まれた経済から、経済に埋め込まれた社会への大転換」のことではないでしょうか。また、「経済を問い直す」シリーズの第一回に出てきたキーフレーズ、「お金の暴力化」「価値の一元化」も、ここに繋がることだったのでは?

    現代経済に生きている人々が皆心のどこかで感じていることかもしれませんが、井下さんの一言は、それをズバリ言い当てた言葉ではないかと思います。経済活動自体が目的化した現代において、今や、消費するということは選挙で票を投じることと同等かあるいはそれ以上の影響力ある行動になっています。良くも悪くも。そういうことを、私たちは日々の生活の中で行っています。自覚したいものだと思います。

  • #1

    安田 (水曜日, 20 11月 2013 14:00)

    「経済を問い直す」シリーズ自体が終了してからずいぶん日が経ってしまいましたが、その後も「お金」「経済」という問いを頭の真ん中(ちょい横)あたりで意識しつづけておりました。と、先日、NHK広島制作の「FACE」というドキュメンタリー番組の中の企画で、「里山資本主義」というシリーズ番組を見つけました。「エコチャンネル」というウェブサイトでNHKが無料動画配信しています。次のURLはそのサイトのものです。

    http://www.nhk.or.jp/eco-channel/jp/satoyama/interview/motani01.html

    番組によれば、中国地方では現在、ユニークな地域再生、里山再生の動きが同時多発的に湧き起っています。番組はこうした動きを、世界から注目され始めている21世紀の試みとして紹介しています。我流で勝手にまとめさせてもらうと、『マネー一元主義のグローバル経済に翻弄されない自立力をもつ、地域の自然と資源に立脚した地域経済の実現を目指す試み』です。(ここで、「経済」は、カール・ポランニーのいう「実体的意味」のほうのみを純粋に指している、とご理解ください。)私にはこれが、ポランニーが示そうとして示しきれなかった人間回復のひとつの具体的方法論、として映りました。(ポランニー云々については、Cafe Philo diaryに投稿された記事をご参照ください。
    http://cafephilo-diary.blogspot.jp/2013/06/blog-post_25.html)

    興味がありましたらぜひ見てみてください。