メタ・フォーラム

哲学カフェ@名古屋は参加者が作ってゆく活動です。参加者として、この活動自体のあり方・進め方について思うことがあれば、このメタ・フォーラムを活用してその意見を参加者みなの議論の俎上に乗せてくださいませんか。また、話し合ってみたいテーマなどのご意見も是非お願いします。(テーマの提案をされる場合は、よろしければテーマ一覧をご参考下さい。)

 

(メタ・フォーラムとは、哲学カフェそのもの、ないし哲学カフェ@名古屋そのものについての意見などをやりとりする場、というような意味です。)

(各カフェでの議論についての感想等は、フォーラムをご利用ください。)

 

尚、コメントには「名前」記入が必須となっていますが、これは本名である必要はありません。

 

 

コメント: 15 (ディスカッションは終了しました。)
  • #15

    (月曜日, 29 6月 2015 18:36)

    ぶーれの軌跡を振り返って、以下のことを思いました。哲学カフェは哲学書に親しむための哲学入門か、哲学の知識がなく、哲学書を読まなくても哲学できるかということです。この場合、哲学するとはどういうことかが問われます。

  • #14

    (日曜日, 24 5月 2015 14:27)

    一参加者が運営にくちを出すようで恐縮ですが。
    以下のようなことを考えています。

    1.いろいろ散発的にテーマについて話し合うのももちろん良いですが、特定のテーマを育てるのも面白そうだと思います。例えば、経済カフェや震災カフェのようにシリーズ化する。あるいは過去の哲学テーマの複合テーマを作り、復習も兼ねて話し合う、というのはどうでしょう?

  • #13

    高橋 (水曜日, 18 3月 2015 21:26)

    コメント読ませていただきました。
    その中で《ちょっと小学生めいているかもしれませんが、挙手の際の手の形を「質問の発言」と「意見の発言」で変えるというのは?(質問は拳を握った手、意見は普通の開いた手、など。)》
    この意見にはとても賛同します。

    ついでにメタ哲学カフェで取り上げてもらえればと思うのは
    哲学カフェにおける「常識」とは?です。

  • #12

    みうらた (月曜日, 02 6月 2014 18:42)

    山方さん

    昨日はご参加いただきありがとうございました。「わかりにくい文章」のサンプルを多数お持ちいただいたことも感謝です。(サンプルを募っておきながら、そしてそれらを持ってきてもらいながら、まったく活用しない進行で申し訳ありませんでしたが…。)

    フォーラム、そしてこのメタフォーラムで、安田さんに対する個人コーチのような役割を担ってくださっているのも、(彼を強引に名古屋での哲学カフェ活動に巻き込んだ)僕が本来やるべきことをやってくださっているわけで、その点もたいへん感謝しております。ぜひ、これからも気づいた点がありましたら、バシバシご指摘ください。よろしくお願いいたします。

    名古屋で僕が初めて哲学カフェの進行をしたのが、2012年の9月で、そのとき知り合いに誘われてたまたま参加されていたのが安田さんでした。なので安田さんはまだ哲学カフェに関わるようになって、丸2年もたっていません。僕が言うのもなんですが、この2年間弱よく付き合ってきてくれたなと常々感謝しています。(このホームページの管理もすべて、安田さんにおんぶにだっこの状態なので。)

    安田さんは(アメリカの大学で心理学や哲学を学んでいたこともあって)分析哲学に詳しく、僕としてはぜひその知見を哲学カフェに接続してもらえたらありがたいと思っていますし、話の折にちょくちょくそういうことを彼にも話していたように思います。
    なので、今回のメタレビューの作成は、安田さんにとってそういう試みのひとつだったのだと僕は理解しています。

    ある日、安田さんがメタレビューを書いたと言って、僕を含む3人に添付ファイルで送ってきたとき、じつは彼はこれをホームページ上で公開する気はありませんでした。それを「せっかく書いたんだから」といって、公開を勧めたのは僕です。その結果、山方さんというよい読み手の目に触れ、そのおかげで、こうやって彼が暗黙の裡に前提としていることが、彼自身にも明らかになりました。哲学を勉強している者にとって「批判」されることほどありがたいことはないのであって、今回安田さんは多くのことを学べてよかったな、と心底思います。(それと同時に、十数年にわたってやっているということが隠れ蓑になって、なかなか「批判」されにくくなっている自分自身は問題ありだなとも思います。)

    たぶん真面目な安田さんのことですから、山方さんのこの投稿を読んで、きちんと応答することでしょう。お二人のやりとりは「哲学的な対話とはどういうものなのか」を実地で見せているようなものであって、それ自体がこの哲学カフェ@名古屋の大きな財産です。僕自身がその中に入っていけるかどうかはわかりませんが、これを機にフォーラムやメタフォーラムの欄がもっと活性化するのではないかと(淡い?)期待をしています。

    あと、「哲学対話の質」というのも安田さん一人が言い出したことではなく、録音された音源をもとに対話分析をやってみたら、なにかわかることがあるのではないか、という(あえてこういう言葉を使うと)「運営側」の安易な発想が元になっています。なので、安田さん一人が応答責任を負うべきものではないということも最後に付け加えさせていただければ幸いです。

    山方さんをはじめとするみなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

  • #11

    山方 (月曜日, 02 6月 2014 05:50)

    安田さん
    同床異夢のようなことが起きないように、サラッと流してはいけないことを幾つか書きます。運営上必要になるかと思います。
    安田さんは「自己言及」が多い文章を書くので、余計なことを書きすぎる傾向があります。ただ、そのお陰で文章の背景が幾つか解りはします。
    (1)ファシリテーターと教師、教祖と役割、立場を自覚する。
     → 参加者を知的に成長させるという目的でメタレビューを企画されているますが、参加者としては余計なお世話と感じています。
    (2)哲学カフェの「高段者」とか「ベテラン」であるとか、参加者批評などしない。
     → 「自己評価」のような「内在的」なことがご自身の中でとどまっているぶんは無害でもあり思想・良心の自由でもありますし、どうでもいいことですが、どうもその自己評価が絶対基準になって、参加者を知的成長をさせようという企画をもたれているようですが、誤解と誤認に基づいていると思います。「外在」的なことも必要かと思います。私という「外部」は、安段さんは高段者ではありません。思ったこともありません。「不器用」な人とは思います。ファシリテーターとしてのファシリテーション技術は、ビギナーだと思います。バタバタしていて、パニクっているのが演技でなければ。ファシリテーター講座ならば、多くの分野のものを受講してきた経験からの感想です。もっと謙虚になられ、肩の力を抜かれる方がよいと思います。「哲学観」がある自分だから気づいていたとか、そんな感想よりも、その場で瞬時に直観で状況判断して、行動できるファシリテーションができるように反省し実践することが大切なのではないでしょうか。負け惜しみですよ。
    (4)メタレビューについて
     テープを何度も聞いて、話し合っていたことに気づいてコメントをするというのは大変遅い「こだま=echo」です。「ヤッホー」と叫び「ヤッホー」と返ってくる「対話」が哲学カフェですが、メタと言ってそのときに気づけなかったことを、モノローグで延々と書かれても、遅すぎるechoを聴きつつ、哲学カフェというか哲学同人誌の往復書簡並みです。じっくり考えれば誰もがコメントかけるでしょうけれ、一面的なものの見方であって「鉄画家カフェ」より価値があるものではありません。
    メタレビューは何のため、「誰のため」が同床異夢だからだと思います。
    安田さんのパターナリズム全開ではないでしょうか?
     「質」の意味を同床異夢なのだと思います。たぶん、哲学カフェの質が低いという状況判断なのでしょうけれど、安田さんの「自己言及」癖から考えると、自己言及と「再帰性」を勘違いして同定されているのだとは思います。しかも哲学用語というか、いちいち哲学上の布置を位置づけたりとか。
    ご自身のフレームを通して、哲学カフェに参加されすぎていないでしょうか。哲学カフェのさなかに、安田さんはよく「今までの議論を整理します」と発言されてその整理案を発言されるのですが、整理になってなくて驚いています。「整理」にもいろいろ意味があります。①哲学カフェの参加者が発言したことを内在的に理解する。前提や論旨など。無批判に。②それぞれの意見の展開された関係を、支持、反対、別の観点などを位置づける。ということを最低限される。③その整理を提案してみる。(同意するかどうは参加者しだい)。このレベルのことをされたことがありません。ご自身の観点から整理されて、それまでの議論をすっとばして明後日の方向から意見を言われます。だから、安田さんの整理案は、哲学カフェの流れに棹をさす というものではないので、スルーせざるを得なくなっています。
    安田さんのメタレビューも同じようなものです。それまでの話し合いが何だったの?というようなもので、流れに棹をさすものなのか、コメントのしようがないものです。私にとっては。
    「対話」の「質」を向上させるという目標らしいですね。「質」って何ですか?安田さんの「質」という判断は、過程を大事としながら過程が見えません。内容はどうでもいいなどと言っていますが、それは参加者を「捨象」していて、自分の意見発表という自家中毒になっていませんか?「高段者」とか「哲学観」とか、観点が変なので気になってはいます。
    参加者のレベルや話し合いの質が低いなどと思われているようでしたら、それ以前に、ファシリテーションスキルも自己評価されつつ、哲学カフェの目的は何か?参加者の思いは何か、対話とは何か、という観点で「質の向上」をはかるという、他者の責任を求めるより自己に責任を求めることも大切かと思います。
    メタレビューには、何か隠している理由があるとか、目的があるとか
    それが解るはずだ、自覚できるといいとか
    安田さんに操作される、仕掛けられる立場の不愉快さは否めません。
    操作、支配する主体である安田さんと、操作される私。奇妙なカフェでした。楽しんでいるところが違いますので。
    パターナリズムな運営はおやめになったほうが、変な話ですが質も上がり、互いにほかっといても成長すると思いますよ。
    自意識過剰、自己言及過剰もほどほどにとは思います。

  • #10

    山方 (土曜日, 17 5月 2014 17:49)

    25日のびわこ哲学カフェのテーマには興味がありますが、その日には京都で午後に用事があります。午前ならば近くにいるので、寄れますが時間が被りますね。残念です。今日は時間が短く感じました。そして疲れました。哲学カフェは、楽チンではありません。

  • #9

    安田 (月曜日, 12 5月 2014 12:47)

    山方さん、

    次回のテーマについてちょっと誤解がありそうなので、一点だけ訂正させて下さい。

    「メタ哲学カフェ」(名古屋駅カフェぶーれで行われているシリーズ)の次回は「わかる/わからないとはどういうことか?」で、6月1日(日)開催予定です。伏見カフェ・ティグレの次回は5月17日(今週土曜)で、「出身とはなにか?」です。

    「哲学カフェに何ができるか?」は、びわこ哲学カフェというところが5月25日(日)に開催するもので、このように@名古屋の「メタ哲学カフェ」シリーズにみごとに沿ったテーマになっているのもただの偶然です。この偶然を「いとをかし」と私が面白がって、このHPと連動したTwitterアカウントでリツイートしてしまったので、それがHPの右欄に出てしまって紛らわしくなったのかと。。。すいませんでした。訂正しておきます。

    ところでせっかくこういう偶然があるのだから、5月25日のびわこ哲学カフェに参加しようかと私は思っています。もし山方さん興味あれば、名古屋まで出てきていただければ、そこから先は一緒に車でいきませんか?(私が運転しますので。)興味ありましたら、HPの「お問合せ」でご連絡ください。(今は私が哲学カフェ@名古屋のWeb担当係をやってまして、「お問合せ」は私のメールアカウントに来ます。)

  • #8

    山方 (月曜日, 12 5月 2014 06:38)

    昨日の哲学カフェで個人的に気になったことの追加です。
    企業が行っている創発的な企画会議と哲学カフェの違いということに対して、企業は営利活動だから評価があるから違うという話がでましたが、CSR(企業の社会的責任)の一つとして「ダイバーシティ経営」を謳うようになってきています。日本では男女共同参画社会の文脈で使用されますが、人種・民族・言語・性(ホモセクシャル、性同一性)・政治的信念・宗教などが異なる人々どうしをどのようにして企業経営に、違うことを企業経営の創造性や革新に生かすのかということを取り入れようとしています。水と油という二元論ではなくて、統合化しようという試みです。
     昨日は、「企業」の現実(存在)を語っていましたが、現状追認とも学習性無力感とも見方を変えると思えました。哲学カフェは、現実を変えるようなことは無理、趣味の世界、企業社会では得られないオアシスを得る場所なのか、社会を変えるというと大げさかもしれませんが、日本の政治やヘイトスピーチにみられるような異質な他者とのコミュニケーション不在の現状を変えるだけの力がないという(論理的飛躍をしていますが)諦めにも近いかなとも感じました。当為は哲学カフェにはなじまないかもしれませんが、企業経営で時間がかかること、お金にならないことは、ダメということは、企業のCSRの流れからいえば、きわめて保守的な印象を受けました。次回のテーマは「哲学カフェは何ができるのか」だそうですが、この問いのサイズは射程は対象は主体はと、突っ込みどころがある問いですが、「現実は厳しいから、何もできない」というのも一つの意見であり、哲学カフェの時間帯で何ができるのかを問うのも一つですが、どこから次回の問いが設定されたのかなと思いました。

  • #7

    安田 (日曜日, 11 5月 2014 09:05)

    「メタ哲学カフェ」シリーズの進め方について、皆さんからのご意見を募集しています。いただいたご意見を参考に、今後の進め方を決めていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

    なお、これまでのところ次のような提案がありました。
    提案者の同意の下、ご紹介します。

    ******************* 提案内容 *********************
    ≪メタ哲学カフェ≫シリーズの展開案について

    ≪メタ哲学カフェ≫の開催を大変楽しみにしています。
    楽しみのあまり、勝手ながらこのシリーズの展開案を考えてみました。
    もしよろしければ展開案を考える際の叩き台にでもしていただければと思います。
    よろしくお願いいたします。

    0.「フィロソフィーとは何か」(4月26日)
    1.「哲学カフェに人々は何を求めているのか」(5月11日)
    2.「(哲学の説明が)「わかる/わからない」とはどういうことか?」(6月)
      (3月22日開催哲学カフェ「人は何に芸術性を感じるのか?」のメタレビューを題材にして~)
    3.「話がかみ合う/かみ合わないとはどういうことか?」
    4.「議論が深まるとはどういうことか?」
    5.「いろいろな意見が聞けるとはどういうことか?」
    6.「哲学カフェで何が行われているのか?」
      (メタ・レビューや発言パターンの図を使って。必要に応じて何回か分を実施。1.の哲学カフェに求められていることが実現されているのかを検証する。)
    7.「哲学カフェに何ができるのか/何を目指すのか」
      (1.で求められているもののうち、何を目指すのかを明確にする。)
    8.「哲学カフェをよりよくするにはどうしたらよいか?」
      (7.で明確になった目指す方向を実現するための方法を論じる。)
    9.「哲学カフェとは何か?」
      (このシリーズの総括をする。)

  • #6

    安田 (月曜日, 28 4月 2014 16:36)

    安田です。

    「挙手して発言」スタイルの哲学カフェでの挙手のあり方について少し工夫を思いつき、提案したく投稿します。

    発言の際に、それなりの意見などを言いたい場合もありますが、聞き取れなかったり、発言者の意味や意図がわかりかねたりなどして、ただ質問がしたいだけの場合などもあります。意見の発言も大切ですが、哲学カフェのような対話においてはこのような質問の発言は往々にして哲学対話のはじまりのきっかけにも成り得てより一層大切だと、個人的には考えております。しかし、意見の発言に先行されて議論が進んでしまうとタイミングというか「質問の旬」が過ぎてしまい、せっかくの貴重な哲学対話の芽が摘まれてしまうことにもなりかねません。

    ちょっと小学生めいているかもしれませんが、挙手の際の手の形を「質問の発言」と「意見の発言」で変えるというのは?(質問は拳を握った手、意見は普通の開いた手、など。)そうすると進行役にもある程度発言の方向性が予測できて、とりわけ、議論が「速すぎる」ようなときのスローダウンの一助にもなるかと思います。いかがでしょうか。

  • #5

    みうらた (金曜日, 28 2月 2014 15:19)

    三浦です。安田さんには勝手に「代表」と呼称されていますが、まあ「音頭取り」のような者と思っていただけましたら幸いです。

    そこで、音頭取りからの提案なのですが、4月から伏見の「カフェティグレ」に加えて、名駅の「カフェぶーれ」(ビジネスホテル「ル・ウエスト」1階)でも対話の場を開いていきたいと考えています。
    ティグレのほうは、土曜の10時から11時半(+ランチタイム)で徐々にかたちができてきましたので、このスタイルを継続していく予定です。
    いっぽうぶーれのほうは、日曜日の午後を(お店がお客さんで満員でない限り)使わせていただけるので、日曜の14時から16時で試験的に始めてみようかと思っています。(ぶーれに入りきれない場合は、2階のミーティングルームへと移動。)

    で、ここからが私の提案の本筋になるのですが、せっかく2か所で対話の場を開いていくのだから、2つを色分けできないかと思うのです。

    つまり、
    哲学カフェα(@ぶーれ)は、より哲学的な対話を重視して、場合によってはセミナー的なイベントも行なう。また、徒歩2、3分のところにシネマスコーレがあるので、映画を観てから対話を行なう「シネマ哲学カフェ」を隔月ペースで実施したりもする。つまりは「プラス・アルファ」的なカフェの場にする。

    哲学カフェβ(@ティグレ)は、より公共的な会話を重視して、つまりは「ベタに」社会の課題などについて考える場所とする。たとえば、就活中の学生に就活にまつわる悩みや不安などを語ってもらい、それについて参加者がアドバイスをしたりする、そんな対話の場を設けるのもありではないかと思うのです。2月から始めた「漫画de哲学」はこちらで続けていきましょう。

    なお、2つの哲学カフェは等間隔で行なっていくのが理想でしょうから、
    哲学カフェα@ぶーれは毎月第1日曜(4/6、5/4、6/1、7/6、…)開催で、
    哲学カフェβ@ティグレは毎月第3土曜(4/19、5/17、6/21、7/19、…)開催でいけたらいいかなと考えています。

    以上は私が勝手にイメージしているものに過ぎないので、「もっとこうしたほうがいい」など、ご意見がございましたら、ぜひこのメタ・フォーラムに書き込んでください。よろしくお願いいたします。

  • #4

    安田 (水曜日, 25 12月 2013 09:39)

    安田です。

    先回の伏見(カフェ・ティグレ)での哲学カフェのあとのランチタイムの話し合いで、最終的に次回(1/25/2014)のテーマは「『偉人』とは誰か?」に決定されました。遅ればせながら、そのときに出されたテーマ候補のアイデアをここに投稿しておこうと思います。
    皆さんも、哲学カフェで話し合ってみたいテーマなどありましたら、このメタ・フォーラムに投稿してみてください。次回、「次回テーマ」を話し合う際に、候補のひとつに加えさせていただきます。

    医療
     献血、
     再生医療、
     なぜ人は長生きしたがるか、
     臓器移植

    自己犠牲
     自己犠牲に幸せはあるか否か(『自己犠牲の幸せ』は矛盾?)、
      【関連】ヘイトスピーチに幸せはあるか?(人はなぜ他者を批判・差別するのか)
     人はなぜあえて自己犠牲を選ぶのか?

    偉人
     何が「偉人」を作るか?
     (特定人物をとりあげて)なぜ〇〇は〇〇になったのか(例:ガンジー、ジョブズ)
     偉人のなかにも「こんな人になりたい」という感化力のある人ない人ある。何が違う?

    悪の心理
     悪いことと分かっていても(時に)人はモラルに反することをする。なぜ?(例:路上のゴミ捨て。)

  • #3

    安田 (火曜日, 12 11月 2013 12:49)

    現在、2014年に行うシリーズ企画のテーマを募集中です。
    去る11月9日の哲学カフェにおいて、開催後のランチタイムに残った有志の間で、すこしこのことが話し合われました。「道徳教育」「進撃の巨人」などのアイデアが出ましたが、どれも一長一短で、検討続行中です。

    「道徳教育」というテーマは、もともと単発の哲学カフェ用に発案されました。今、道徳を小中学校で正規教科に加えようという動きがあります。これについて考えようというテーマです。これを受けて、別の人が、これをシリーズテーマにしても面白いのでは、と提案しました。前回の「経済を問い直す」シリーズは、「経済」という大きな括りの中で、より括りの小さなサブテーマをいろいろ取り上げるシリーズになりました。「道徳教育」だと、逆に、わりと小さな括りだからこそこれをハブにしたようなより大きな括りのサブテーマがいろいろ考えられます。「そもそも道徳って何?教育って何?何のためのもの?」など。それらを取り上げれば、その回は、はじめから『道徳教育という時事問題を考えるための、その前提の問い直し』という哲学的なベクトルが生まれる気がします。いい考えとは思いますが、いかんせん、「道徳」という言葉は、とくに若い層からの拒絶反応を引き出してしまいそうです。

    「進撃の巨人」とは、ご存じの方も多いでしょうが、諌山創氏の人気漫画(少年漫画、別冊少年マガジン掲載)です。人気作品だけに、(言葉は悪いですが)人を呼べるテーマにはなるかもしれません。しかも、ご存じの方多いでしょうが、哲学のきっかけになるようなシーンやエピソード満載です。シリーズ中の各回に深いテーマを提供するくらい容易いと思われます。すごく魅力的なアイデアですが、逆に、この漫画(なりアニメなり)を知らない人には参加できないシリーズになってしまうので、その意味では、少なくとも長期のシリーズテーマとしては不向きです。

    というわけで、検討続行中です。皆さんからの声をお待ちしております。

  • #2

    安田 (日曜日, 23 6月 2013 17:20)

    コメント#1の安田です。代表の三浦さんとも話をし、Facebookページを作ることで各カフェの記録残しを気楽にやっていけるようにしましょう、ということになりました。
    で、Facebookページができましたので、報告します。このホームページの「活動・告知」のコーナーにも情報を入れましたが、 https://www.facebook.com/cafephilo758  です。
    参加してみて思ったことや、記憶に残った意見など、気楽にこのFacebookページに書き込んで頂ければ幸いです。

  • #1

    安田 (土曜日, 25 5月 2013 22:13)

    2013年5月現在このホームページの運営を担当している安田というものです。このホームページに関する意見です。

    今のところ、当ホームページには、①哲学カフェ活動についての意見を交わすメタ・フォーラムと、②各カフェにおける議論の感想や、そこで言えなかったことなどを書き残したり議論をさらに続けるためのフォーラムがあります。しかし、各カフェで行われた議論を記録する場所がありません。そのためのコーナーを、フォーラムやメタ・フォーラムと同じ「掲示板」方式で用意し、有志がそれぞれに自分の印象に残った意見・発言を書き残せるスタイルにするとよいのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。